KAWAI AKIO

線分の織物

秋田 由利

1 問題の所在
10年以上にわたる川井の作品を概観してみると、相当に変化していることを認めないわけにはいかない。初期の仕事は絵画的・平面的展開の典型ともいうべき作風であったのに対し、最近では「天井部屋」や「叢」という非・絵画的、非・芸術的素材が頻繁に用いられている。一見正反対とも思われるこれらの仕事はまったく任意な関係にあるのか、それとも何らかの必然的な関係にあるのかと問うてみることができるだろう。
ここではこの問題に絞って川井の展開を追ってみることにする。


2 「織り物」と「線分」
事実上の出発点となる80年頃のシリーズには「麻布」と「アクリル絵具」が素材として用いられている。ほとんどの場合、下塗りの施されていない生の状態の麻布の上に、その麻布にとても近い色彩の短い線分がほぼ規則的に、繰返しとして着色されているのがこのシリーズの大きな特徴である。まるで「絵画の発生」を問題にしているかのような平面的展開を示している。しかしここにおける「色彩」の扱いに注目するなら、まったく違った側面が見えてくる。つまり、このシリーズでは支持体としての「麻布」、これにきわめて近い「色彩」、および「線分」という三つの要素に問題は集約される。このなかで「麻布」は、言うまでもなく麻の糸を織り成すことによって作られる構成体である。仮りにこの支持体の上に何らかの下塗りが施されていたり、支持体とは大変に異なる色彩が着色されているとするなら、麻布は「織り物」としての意 味を失うことになろう。逆に、麻布上の色彩が麻布に近ければ近いだけ、しかも麻の糸と同様「線分」によって着色されていればなおさらのこと、その全体は「織り物」としての存在感を強めることになるだろう。川井の「麻布シリーズ」の力点はここにあるように思われる。しかもそれらの線分は、丁度麻の糸の織り成しのように、適度に規則的であり、適度に偶然的である。つまり麻布と絵具の扱いが基本的に同等なのである。絵具の線分は麻布における糸とまったく同様に物質として扱われ、作品全体が物質の織り成しによる構成体として了解されているのである。一方、このシリーズと前後して制作された「紙とペン」シリーズにも同様の姿勢がうかがえる。「紙」とは、麻布の糸よりも微細ではあるが、やはり繊維によって織り成された構成体である。そして生の状態のこの支持体の上に、今度はペンが用いられているのがやはり適度に規則的に、適度に偶然的線分が織り成されているのである。しかしこのシリーズは「麻布」とまったく同じわけではない。「紙」の場合、しばしば故意に皺が作られているからである。この皺は紙をくしゃくしゃにすることによって簡単に作り出されているように思えるが、その結果として複雑な無数の痕跡を残し、それ自体でランダムな線分の織り物を形成することになる。しかも「麻布」には見られなかった、線分の交差を偶然的に形成しているのである。そしてこの皺としての「線分の交差」は、「紙」自体が複雑な繊維の織り物以外の何ものでもないことを強調するのにも役立っている。そしてこの皺は、「麻布」シリーズの比較的後期にみられるような麻布自体の折り曲げ操作とほぼ同様の機能を果たして いるとみなすことができるのである(「調色」シリーズ)。そこでは支持体そのものが折り重ねられていたり、あるいははっきりとした痕跡の折り目を残していたりするのである。それが「皺」や「線分の交差」と同じ操作に基づくことは明らかであろう。

3 素材の変化、あるいは三角形と円形
80年代の後半になって、素材は大きく変化し始める。最も目立つのは「木」の使用である。初めのうち、「木」は紙の裏面に用いられていたが、次第に鉄など他の素材とともに木自体として表面化してくるようになる。いずれにせよ木という素材もまた線分として交差し、織り成されていることは明らかである。基本的にみれば、その交差は「皺」による交差を視覚的に明確化するのに役立っている。そして「粘土」という新たな素材もまた皺とまったく同一の機能を持ち、しかも皺以上に交差を鮮明に表現しているのである。「粘土」の表面には無数の、しかしくっきりとした亀裂が走り、それらは線分として複雑な交差を成しながら「織り物」を形成しているのである。したがって素材の違いが本質的な違いを意味しているとは思えない。線分による織り成しという試みは一貫しており、それを「交差」へと展開させた結果、交差を明確にするために素材が変化せざるを得なかったとみなすのが自然であろう。しかし、比較的早い時期から現れてくる「三角形」と「円形」という単純な幾何学形態はこれとどのような関係にあるのだろうか。
三角形は図形としての織り成しの最も基本的な形態であると考えられる。確かに、最も基本的な織り成しを形成するのは二つの線分である。そしてその試みは紙の裏側での木の交差でなされていた。しかしそれはいまだ図形を形成するには至っていない。図形と成るためには最低限三つの線分が必要であり、それによって形成されるのが三角図形に他ならない。ではもう一方の円形はどうであろう。一見それは線分と無関係に思われるかもしれない。しかし川井の作品では円形は幾つかの線分に区別されているのである。例えば80年「TAKE OFF」(黒部市宮野山)では、半円形に浮かび上がった芝生を線分として区別するために棒状の木材が使用されている。また翌年の「回転する葉先」(新潟創庫美術館)においては円形は幾つかの層を成しているが、「和紙」という繊維質の目立つ素材のおかげで、円は丸いというよりも角ばった印象を与え、線分によって形成されているという印象を与えているのである。さらに「精神の身振り」(魚津市小川寺)では天井部屋の古い板張りの床の上に、電動カンナによって円形が刻印されている。ここでは何本かの床板の幅が、刻印された円形をやはり線分として区切っているのである。(そして線分として飛び散るカンナ屑……)。要するに「円」の「微分」である。したがって、円形の作品はいずれにおいても無限の多角形という問題を示していることになる。ということは、円形においては三角形の場合と対極的に「無限の分割可能性」としての図形が表現されていることになろう。図形とは形を成す構成体である。この構成体の最も基本的な形態と最も複雑な形態とがともに「線分」によって成立しうる物であることがここで示されているのである。

4 有機体への展開とそれが意味するもの
88年の「土の記憶」(コバヤシ画廊)と題された個展は、最初の印象ではこれまでとは違った展開を示しているように思われた。実物の「叢」が壁に設えられた「棚」の上に鎮座していたからである。これまで、どちらかといえばスタティックで禁欲的な展開を示してきた川井が有機体そのものを用いていたからである。植物であるとはいえ、「叢」は秘めたる欲望のダイナミズムに従ってうごめく生命体に他ならない。しかし、この最初の印象はそれほど長く続くものではなかった。なぜなら「叢」は草という線分の集合体であり、それゆえこの作品がそれ以前の仕事を必然的に展開させたものであることがすぐに理解されたからである(「芝」にも同様のことがいえるだろう)。つまり川井は次のように展開してきたことになる。
初期においては並列する斜めの線分が規則的に繰り返され、次にそれらの線分が偶然性を強めながら交差することになる。そして最近では線分は生命体として、それ自体で成長することになったのである。したがって、確かに素材そのものは大きな変化を示しているが、しかし「線分による織り物」というテーマのもとで一貫した実験が展開されているとみなさなければならないであろう。言いかえるなら、人為的な織り物からより現実的な自然の織り物への展開である。では、我々はこの試みからどのような共通感覚を引き出すことができるであろうか。
核心に迫る芸術はいつでも革命的である。しかし政治的革命がしばしばそうであるように、暴力的であるわけではない。芸術は具体的な「力の関係」を用いずに、この「関係」を世界の観察に基づいて明らかにしてくれるのである。例えば、「線分」におけるさまざまな運動は「構造体」や「組織体」すなわちテクスチュアの現実的な変革のプロセスを示している。それは世界の変化の最も基本的な仕組みのプロセスを、しかも次第に現実に接近しながら示しているのである。線分の運動は最初非・有機的な様相を呈していた。しかし最近はきわめて有機的に展開している。つまり部分的には非・有機的でありながらも全体としては有機的な運動を成しているのである。この「部分と全体」という関係の展開の姿勢は、まさに「世界」へと向けられたまなざしと重なり合いはしないだろうか。

[ART EVENT TONAMI'90] 1990 ART SPACE TONAMI