川井昭夫■木下晋展

Collaboration vol.1

<記憶ー時間>

2000.5.1-7 am10:00-pm5:00 

石川県羽咋郡志雄町字原 (原山舎)

                          

  

 木下晋
 100×190cm  ケント紙に鉛筆

 川井昭夫「wood painting」

 松に油彩 2000年


 
川井昭夫「身振り」(再制作)

 木に電動鉋 2000年


 

〈記憶−時間〉と場

 杉本(吉田) 積 (砺波市美術館学芸員)

石川県志雄町の山間部にあるこの家は、富山県砺波地方から120年前に移築された日本家屋である。川井昭夫(1948年石川県羽咋市生まれ)が同町から借り受けた空き家を約一年半かけて近代化以前の状態に復元してアトリエにた。
 川井は、94年以降「野積記」と題し富山県の山間部の旧家を作品発表の場にすることを試みてきた。今回は生まれ故郷の近くでもあり、旧知の間柄である木下晋(1947年富山県富山市生まれ)を招き展覧会を行った。
 木下はケント紙にグラファイト(黒鉛)を使い、細密描写された人物の大作を展示した。年老いた男と女が登場し、後ろ向きの人物や、顔のアップ、他には祈りにも似た姿勢で描かれている。木下は、彼らの生きてきた時間を証明する老いた肌に刻まれた皺を黒と白の陰影だけで表現する。そこには、性別を越えた人間としての生き様が克明に写しだされていて、光が隅々まで行き届かない日本家屋の中で圧倒的な存在感を与えている。生活の痕跡が建物の表面に付着している会場内で、作品を見る者は「老い」を意識させられてしまう。老人たちは、以前にこの家に暮らしていた人々のイメージを呼び起こしたり、見る者に自分自身の未来の姿のイメージを与える。どちらも人生の終末へ向かう時間を予感させる世界を提示している。

 一方川井は、旧家に隣接した蔵の中で作品を展示した。内部の壁に使われている木材は、120年前の当時の物である。日光に触れていないので表面は時間の経過を思わせないが、床の板は人間の生活の痕跡が古び残っている。木製の梯子で二階に登ると蔵の梁が剥きだしになっており、照明が床面に向けられている。作品は、電動カンナで床面をサークル状に削ったものであるが、1989年に発表したものの再制作である。このサークルは所々削り残しがあり、まわりには削られた木片が飛び散っている。人々の記憶がしみついた床板に川井の削るという身振りによって、削り残された部分と削られた部分が作られる。木自身が持つ時間に手を加えることで削られた部分の時間が新たに誕生している。
 一階では、薄暗い中で光が当てられた樹齢数百年の厚い板が置かれている。一見ただの板に見えるのだが、木目に沿って同系色の油絵具が塗られている。以前の作品は塗られた部分と塗り残された部分がわかるように制作されていたが今回は寸分違わずに塗られている。川井は、樹木としての役目をいったん終えた木の成長の記録である年輪を油彩で描く。それは、木が持つ時間を現在に生きる人間の痕跡として定着させる行為である。また、木目に沿って描くという繊細な仕事は、板に思わぬ表情を与える。角度によって塗られた木目が変化し、まるでそこに裸身の女性が横たわり艶めかしい雰囲気を醸し出している。見る者は作品から立ちのぼる生の幻を錯覚し、今ここに自分が生きている時間を痛烈に意識させられるのである。

 二人の作品が、山間部の旧家で一つの世界を形成している。人間と関わる建物のなかで誕生から、現在、そして死へと向かってゆく時間が提示されている。その間に立っているのは作家と、鑑賞者である。自然の営みなかで人間の持つ時間とは点に過ぎない、それでも寄り添うことで痕跡は残すことができる。

(展評004より転載)