KAWAI AKIO
  川井昭夫

  美術手帖 1995.1 展評

意識の順列

1994

acrylic on linen canvas

島 敦彦

麻布に絵具をつける行為の限りない持続のはてに、川井昭夫の絵画は生まれる。「色を支持体に近付けること、筆跡を全体性のなかへ消滅させること」がその最小限の要件である。

今回は、絵画十四点と植物によるインスタレーション一点を出品。まず注目されたのは、会場の一隅に仮説されたふたつの小部屋である。一方には七九年の「麻Typ-A」の連作が、もう一方には九四年の新作「意識の順列」がそれぞれ四点ずつ展示された。

双方の部屋の入口は向かい合う格好でしつらえられ、部屋の造りも、天井に張った紙を通して広がる柔らかい蛍光灯の光も、作品の寸法も材質も手法も、その配置もほとんど同じ、ふたつの部屋を何度か往き来していると、両者はまるで鏡像のようにお互いを映し出す。

だから、初めてそこえ足を踏み入れた人は、どちらが新しい作品であるのか区別がつかない、というより区別する必要を感じない。両者を隔てる十五年という時間も、過去から現在への展開や進化を示すものではなく、孤独な作業の持続のなかに溶解してしまう。

しかし、「麻布Typ-A」から「意識の順列」へと題名が変わり、麻布に半ば浸透しながら光を反射していた絵具が、新作ではその表面に浮き立つように付着した感じになり、ある一定の長さを保持して描かれた規則的な斜めの筆跡が、左側を基点に右は成行きまかせの短い筆跡の羅列になり、さらにキャンバスがいくらか厚みを増して画面と壁との距離が保たれるなど、見逃せない変化が随所に発見できるのである。

過去の自作によって現在を逆照射したこの試みは、作品の提示の仕方そのものが、いわば作品的であったともいえようか。

さらに、川井が自宅で育てているという観葉植物五鉢をそのまま持ち込み、並列したインスタレーション「やさしく無力な生活」は、作者の日常の提示が気負いなく静かに結晶した作品、というよりいとなみとして印象深かった。

   ART EDGE '94  富山市舞台芸術パーク 1994.10.10-30